"Sugar and Slavery" Walking Tour [ロンドン散歩]

イギリスで砂糖と言えば、連想するのは、西インド諸島のプランテーションで栽培されるサトウキビから作るもので、その背後にあるのは奴隷制。歴史の教科書にはなかなか出てこない、その歴史をたどるウォーキングツアー。

ヨーロッパのアフリカへの関心が始まるのは古代ギリシャ。中世には黒い肌が悪魔に関連付けられ、(ヨーロッパ人の)「大航海時代」になると、金や象牙に象徴される富を獲得できる「夢の大陸」という認識へ。その後、金や象牙に加えて奴隷がヨーロッパへ、ヨーロッパからは塩や武器、衣服がアフリカへ。その後、コロンブスらがアメリカ大陸を「発見」したときに、西インド諸島の砂糖もまた発見され、アフリカから西インド諸島へ奴隷が連れてこられ、西インド諸島からヨーロッパに砂糖がもたらされる、「大西洋の三角貿易」が成立。なお、イギリスで奴隷貿易と言えば、ブリストルやリバプールが有名ですが、1562年に奴隷を載せた最初の船がヨーロッパに到着したのは、ポーツマス港。奴隷船はロンドンの港へも、

大英帝国内での奴隷制に反対する運動がイギリスで始まったのは18世紀後半。1807年に奴隷貿易廃止、1823年に反奴隷制協会(Anti-Slavery Society)が設立。1833年に帝国内で奴隷制が廃止。1820年代のものだったと思いますが、お金持ちの夫人が持つ絹?のハンドバッグに奴隷の姿がプリントされたものが、たぶん今もVictoria & Albert Museumのファッションの歴史を紹介するギャラリーにあると思います。特に説明はないのですが、バッグの傍らに奴隷制に反対するパンフレットがディスプレイされていることから、自分は奴隷制に反対だという意思表示したものでしょう。
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ウォーキングではまずシティで奴隷貿易に関わっていた商社や公的機関を巡りつつ、ビジネスマンや社会的権威たちの奴隷貿易とのかかわりについての話を拝聴。銀行が奴隷貿易を支援していたことはもちろん、頭取クラスの人が奴隷を所有していたり、奴隷貿易で利益を得ていたり、また、当時の海洋法(Maritime Law)では「輸送」中に病気になった奴隷を殺害することが認められていたり…と驚愕の事実がいろいろ。帝国内での奴隷制が廃止された後の1844年に建てられた現在のRoyal Exchangeの建物の三角部分のレリーフには、大英帝国の富を支えたものとして、中心に商業の女神、左側には商人たち、右端には労働する奴隷。裏に回ると資産の象徴であるバッタが屋根の上に。

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路地に入って、17~18世紀のコーヒーハウスの跡へ。現在の"Jamaica Wine Shop"はロンドン最初のコーヒーハウスですが、男性たちが集まって商談をしたり政治について語り合う場所だっただけではなく、奴隷の売買や逃亡奴隷に関するポスターが貼られていたとか。そういう情報交換も行われていたはず。その他のコーヒーハウスも、残念だけど同様。

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テムズ河岸のかつての地図に「砂糖波止場(Sugar Wharf)」の表示。テムズ北岸で、シャードを正面に見る辺り。ここで西インド諸島の砂糖が荷揚げされ、南岸の市場で売られていたそう。奴隷もまた「荷揚げ」されていたわけですが、奴隷船内での彼らに対する非人間的な(と一言で片づけられるものでは決してない)扱いについての説明をここで拝聴。ここから再度シティ方面に向かい、ガーキンにほど近い路地に入ると、奴隷に関するモニュメントあり。サトウキビの形をした細い像に詩が刻まれています。
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