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Museum of British Order of St John + Smithfield Market [ロンドン散歩]

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British Order of St Johnは、巡礼者を守るために1099年にエルサレムで設立したKnights of St John's of Jerusalemに端を発し、十字軍の時代や、ヘンリー8世による修道院解体などを経て、現在、ゲートハウス(最初の画像の門。門の中に、その歴史を紹介する博物館の入り口)等が残るだけではなく、主にコモンウェルスの国々に支部を持ち、医療活動等を行う機関。現在の総裁はエリザベス二世。その歴史を紹介する博物館や関連する教会を、ガイドの方の説明を聴きながら見学。ゲートハウスは、18世紀に発行されていた雑誌Gentleman's Magazineの編集部を兼ねていて、政治関連の寄稿者だったDr Johnsonが出入りしていたり、画家のWilliam Hogarthの父親がラテンで会話する決まりのカフェを経営したり(ゲートハウスにはHogarthの絵を飾る小部屋あり)、19世紀にはOld Jerusalem Tabern(居酒屋)でDickensが出入りしていたり…という歴史もあり。

この博物館や関連施設のあるClerkenwellは、きれいな水(well)が湧いていたために古くから多くの人々が居住し、17世紀の終わりにはシティのお金持ちが移り住むようになったらしいのですが、その後お金持ちがMayfair等に移り住んだ後は、ビールの醸造業者や印刷、出版関係者が多い地域へ、さらに時代が進むと、スラム化し、政治的な急進主義者が居住するようになったそう。19世紀にはチャーチストがデモ行進を行う出発地点であり、20世紀初頭にはVladimir Leninゆかりの地でもあったらしい(もっとも、Bloomsburyでレーニンの住んだ家のブループラークを見たような気がします)。

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生肉市場で、処刑場でもあったSmithfieldがすぐ近く。そのためか、Cowcross Streetという名の通りあり。
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Restored Almshouse@Geffrye Museum + Shoreditch [ロンドン散歩]

かつては養老院(almshouse)だったジェフリー博物館の一部で、見学者用に18、19世紀の様子が再現されている箇所(この部分のみ見学の曜日と時間が決まっていて、入場料/案内料が£4)を見学し、その後で、博物館のあるショーディッチ地区をちょっと歩いてきました。


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この養老院はビジネスマンとして成功し、ロンドン市長も勤めたロバート・ジェフリー(1613-1703)が私財をなげうって建設したもの。志願して選考(人格審査等)にパスすればお金がなくても入居でき、贅沢ではないにしても、比較的手厚いケアを受けながら余生を過ごすことのできた施設。almshouseが「救貧院」と訳されているのを見たことがありますが、行き場のない貧民を収容する救貧院(workhouse)とは違います。

見学したのは、18世紀に夫婦が住んでいた部屋、19世紀に家庭教師として生計を立てていた女性が仕事を辞めた後に住んでいた部屋、トイレ、洗濯場を再現したもの。当時の写真や本、ベッドカバー等が備え付けられていますが、住み心地はなかなか良さそう。インテリア的にも可愛い。入居者の世話をする人も同居していて、病気になったら看病してもらったり、医者を呼んでもらったりしたらしい。葬儀は教区(キリスト教国の行政上の単位)の責任で行われ、養老院の敷地内に葬られたそう。ちなみに、設立者のジェフリー氏ご夫妻も敷地内に葬られているそうです。養老院は、こちらのようにビジネスマンが建設することもあれば、教区が建設することもあり、場所によって待遇の違いはあったそう。

このような養老院の入居者が金持ちのお坊ちゃんから馬鹿にされるのを本で読んだことがあるので、入居者が地域の人たちからどう思われていたのかを質問してみたら、ジェフリーの場合、ショーディッチという20世紀半ばまではかなり貧しかった地域にあって、教育も身分も比較的高い人たちが入居する養老院だったために、見下されるどころか、やっかまれて摩擦があったそう。つまり、周囲の反応は地域によって、いろいろ。

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ジェフリー博物館からちょっと北上すると、St. Leonard's Office for Relief of the Poor。つまり、1863年設立の救貧院(workhouse)。救貧院の医務室から始まった病院St Leonard's Hospital。19世紀にはスラムのミッション・センターで学校でもあったSt Columba教会。

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以上の3つの施設のあるNuttall Stから、懐かしい感じの庶民的なお店が並ぶHoxton Stへ。Cooke's Eel & Pie Shopで、お昼ご飯。20世紀の半ばのイギリスという雰囲気の店内で、マッシュポテトが添えられた肉のパイをいただく。すごく美味しいかと尋ねられれば、Yes!とは言えないけど、昔のイギリス人はみんなこういうのを食べていたんだろうなあと思われる味わい。ソースは薄めのスープみたいな感じ。£3.5。ティーが£1。正直に言うと、食べ足りず(というか、周囲の人たちはパイを2個か3個、食べていました)。電車でちょっと移動した後に、カプチーノとエッグタルト(合わせて£3.5)をいただきました。
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St James's Walk [ロンドン散歩]

2月7日、Alice's Adventures under Ground: A Readingの前には、London's Hidden Works vol.2の"St James's Walk"の最初の方を参考に1時間くらい散歩。


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St James's Piccadilly教会からスタート。こちらもChristpher Wrenの設計。ロンドン大火(1616)後の都市計画の下で設計したものが多い中、都市計画という縛りがなかったためか、London's Hidden Worksによれば、Wrenは自分が設計した教会の中で、この教会を一番気に入っていたらしい。

教会の裏通り(Jermyn Street)には、化粧品店Froris(こちらの香水89番はJames Bondの愛用品)を始め、髭剃り道具専門店や靴屋など高級店が並ぶ。FrorisはFlorence Nightingaleら女性の顧客も当然いたようですが、その他の店は主にジェントルマンのためのお店。代表的なダンディー(主に18~19世紀に、完璧なジェントルマンとしてのライフスタイルを追求した人たち)で、摂政皇太子(後のジョージ4世、1762-1830)の友人でもあったらしいBeau Brummell(1778-1840)も出没していたのか、銅像あり。その足元には、"To be truly elegant one should not be noticed"(真にエレガントであろうとするなら、気づかれないようにすべきだ)というお言葉。目立つのは野暮ということでしょうか。Florisの隣は、Newton(1643-1727)が住んだ家。

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Jermyn Streetを抜けたSt James's Streetには、世界で最も権威があるというWhite's(一番左の画像)を始め、ジェントルマンズ・クラブ(18世紀に設立された上流階級の男性のための会員制クラブ。19世紀の終わりになると女性会員を認めるクラブも現れ始めた)が並ぶ。脇の小道には、Chopin(1810-49)が住んだ家あり。起源は17世紀にさかのぼるらしいパブBlue Postの隣にはLord Byron(1788-1824)が住んでいたらしい。

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St James's Streetの突き当りには、St James's Palace。1530年代にヘンリー8世(1491-1547)が建設。彼がAnne Boleyn(1507?-36)との結婚生活を送ったのはここらしい。以降、長い間、イギリス国王の主要な居城。ヴィクトリア女王(1819-1901)が1837年にBuckingham Palaceに居を移しても、公的な場所としての権威は失われなかったのだとか。St James's Palaceの裏はGreen Park。遠くにBig Benも見える。
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King's Cross & St Pancras Walk [ロンドン散歩]

"Alice's Adventures under Ground: A Reading"が終わってから、30分ほどLondon's Hidden Walks vol.2 を片手に散歩。
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まずはキングス・クロス駅の構内に入って美しい天井を眺める。この駅を利用したことはあるものの、そういうときに天井を眺めるゆとりはなし。右の画像は、なぜか街中にある灯台。London's Hidden Walksによると、どうしてこんなところに灯台があるのか、はっきりとした理由は分からないけど、オイスター・ハウスの看板として造られたのではないか、とのこと。

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キングス・クロス駅の広場前から、セント・パンクラス駅の時計台を眺めていたら、屋根の上に、ポセイドンの三叉戟とアテナの兜が目印の女神Britannia像。"St Pancras International"なので、駅の構内に入ると、「パリから到着した列車は…」云々というアナウンス。ここにはなぜかピアノがあって、たぶん通りがかりの人が時々弾いています。駅の外に出てEuston Roadを渡って、駅に隣接するMidland Grand Hotelを眺め、St Pancras Churchへ。キリスト教の教会なのにギリシャ風で不思議な雰囲気。London's Hidden Walksによれば、この教会が建てられた1822年頃、流行しつつあった"Greek revival style"なのだそう。
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Dr Johnson Walk [ロンドン散歩]

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2月3日は午後3時から"Dr Johnson Walk"に参加。Dr JohnsonことSamuel Johnson (1709-84) は、イギリスの文学者で、批評家で、エッセイストで、英語辞典の編集で有名な18世紀の文人。奴隷制廃止論者(イギリスで奴隷制に反対する組織が本格的に形成されたのは彼の死から3年後)で、アフリカ系/カリブ系の人をきちんとお給料を払って雇っていたり、猫の世話をさせるのは使用人に失礼と愛猫の餌の牡蠣(←当時は庶民的な食べ物だったらしい)は自分で買いに行ったり、自分は神に与えられた才能を十分に生かすことができなかったと、作成した文書の多くを焼いてしまった(←もったいない)謙虚な側面があったり、無類の紅茶好きだったり、と、愛すべき方だったよう。

なお、彼の英語辞典は「初の英語辞典」とよく言われますが、文脈による用法の違い等をきちんと記した辞書として「初」という意味。様々な名言の中でも、"When a man is tired of London, he is tired of life; for there is in London all that life can afford"(ロンドンに飽きた人は人生そのものに飽きている。人生が与えることのできるものすべてがロンドンにはあるのだから)が有名。

この日のツアーは、ミュージアムでもあるDr Johnson's Houseに集合し、シェイクスピア全集を編集したときに住んでいた家の跡や、彼が通っていた教会(St Clement Danes教会こちらの下の方をご参照。この教会の裏にDr Johnsonの銅像あり。1月31日に通ったときは頭に何か載せられていましたが、2月3日にはそれはなくなっていました)、彼の伝記作者で友人でもあるJames Boswellと初めて食事をした居酒屋(The Mitre Tavern)跡や、一時期住んでいたテンプル、彼の友人でアイルランド出身のOliver Goldsmithのお墓などを巡るもの。

Dr Johnsonはイングランド中部のLichfield生まれながら、1738年以後は、今日歩いたCityの西側に居住。ガイドさんによれば、Cityの様子を様変わりさせたものとして大きいのは、1666年のロンドン大火(The Great Fire of London。今年はロンドン大火から350年の記念の年)と第二次世界大戦の空襲。Dr Johnsonは、大火の被害を逃れた建物物や、Sir Christopher Michael Wrenが大火の後、壮大な都市計画の下で修復を施した建築物を見ていたことになります。St-Dunstan-in-the-west教会(画像右側の2枚)は大火を逃れたものの一つらしいのですが、現在の建物は、Dr Johnson死後の1830年代に建て替えられたもの。とは言え、右端の画像に小さく写っている時計(針が「分」まで細かく指すロンドンで最初の時計。通りの方へ突き出ている黒いやつ)はGoldsmithの小説にも出てくる…ということは、Dr Johnsonも見ていたはず。また、右から2枚目の画像上方に写っている像は、エリザベス1世で、屋外に設置されたロンドン最古の銅像らしい。この教会の斜め前くらいには、大火を逃れたPrince Henry's Roomがあるのですが、現在修復中でこの日はカバーが掛けられていて見られず。残念。
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Strand & Embarkment Walk [ロンドン散歩]

London's Hidden Walks vol.2 の "4. Strand, Embarkment and Fleet Street Walk" の前半部分を参考にして歩く。

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Trafalgar Squareからスタート。背の高いNelson像。ヒットラーは第二次世界大戦に勝ったらこの柱をベルリンに持っていく予定だったらしい。柱の後ろに見えるのはNational Gallery。Sir Edwin Landser作のライオン像は近くで見るとかなり大きい。広場の南にはチャールズ1世の像。清教徒革命で断首されたはずなのに、こんなところに像があるのも不思議…と思っていたら、オリヴァー・クロムウェルからこの像を譲り受けた真鍮細工師が溶かして小物を作ったりせずに密かに保存し、王政復古後にチャールズ2世に売ったのだとか。

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Charing Cross駅へ。学生時代、初めてロンドンでホームステイしたとき、毎日、この駅で列車の乗り降りをしていました。懐かしい。駅の裏側へぐるりと回ると、ベンジャミン・フランクリンが住んでいた家や、トンネルみたいな"Arches"(1860年代にはここにミュージック・ホールがあったらしい。今は食べ物屋さんなどが並んでいます。日曜日の今日は閉店していて閑散としていました)、Rudyard Kiplingの家やSamuel Pepysの家あり。

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こちらは1770年頃にさかのぼるというAdam Streetにある家ですが、この家のちょうど前でドラマの撮影が行われていました。今日(1月31日)、先週、先々週と3週連続でドラマの撮影現場に遭遇。日曜日のロンドンではあちらこちらでロケが行われているのか、たまたまなのか…。今回のドラマの衣装は20世紀半ばかなあ。

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Strandの大通りに出て、Savoy Hotelや、ロンドン最古のレストランの1つだというSimpsons-in-Strand(1828年の創業時は、ジェントルマンが葉巻を吸いながらチェスをする場所だった)の前を通る。

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Strandを東へ進むと、St Mary-le-Strand教会。1994年に閉鎖されたAldwych Underground Station。開業は1907年。第二次世界大戦中は防空壕、大英博物館の秘宝の保存場所としても使われていたそう。

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StrandからFleet Streetに出る辺りには、St Clement Danes教会。その前には4度イギリス首相を務めたGladstone(1809-98)像。教会の後には、Dr Johnson像(誰かが悪戯して頭に何か載せた模様)。

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もうちょっと進むと右手に、狭ーい間口のTwinings Tea Shop(画像は建物の横幅の一部ではなく、すべて)。そのお向かい辺りに、the Royal Courts of Justice。
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Oliver Twist Walking Tour [ロンドン散歩]

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1月24日、"The City Walk"(こちらの記事を参照)の後は、『オリヴァー・トゥイスト』ウォーキング・ツアーに参加。地下鉄Angel駅に集合し、ディケンズの小説『オリヴァー・トゥイスト』(1837年出版)の主人公が田舎からロンドンに出て来て遭遇した19世紀のロンドンの暗黒街を道をたどりながら、そして、想像力を働かせながら追体験するもの。

最初の画像は、Islington High StreetにあるパブThe Angel Inn。19世紀は宿屋でもあったこのパブは、オリヴァーとは別にロンドンにやって来たノア・クレイポールが、人の混み具合やゴミゴミ具合が急に増したことから「ここからロンドンが始まるんだ」と思った場所。ウォーキングのルートはここから南(=ロンドンの中心)の方へ。ということは、ローマ人が築いた壁のすぐ外側にあるスミスフィールド(生肉市場で、処刑場でもあった生臭い場所)へ近づく、つまり、当時のロンドンでは悪臭が強くなり、不衛生さが増す方角へ。

途中、ギルド(商工業者の特権的同業団体。ギルド・ホールはもちろんローマ人が築いた壁の中)に入れてもらえない貧しい職人が多く住んでいた界隈(2枚目の画像。パブ・The Harlequinの辺り。なお、パブとしての創業は1848年。『オリヴァー・トゥイスト』が出版された1837年頃はパブではなくビール屋だったそう。The Harlequinの隣の窓の形が19世紀の典型的な窓の形だそうです。その後、救貧院や貧民墓地のあった界隈、『オリヴァー・トゥイスト』が初めて劇として上演されたSadler's Well Theatre、今となれば動物虐待にしか見えない野蛮な娯楽や見世物としてのボクシングが行われていた歓楽街(パブCoach and Horsesの辺り。3枚目の画像)、作者のディケンズの行きつけだったというパブThe One Tunまで。『オリヴァー・トゥイスト』に登場するパブThe Three Cripplesは、The One Tunがもとになっているらしい。地下鉄Faringdon駅に近い、この辺りで解散。

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以上に記したこと以外にも、あれこれ一生懸命メモを取りながら歩いていたら、別の参加者から「ガイドさんですか?」と尋ねられる。私はガイドの勉強を兼ねてウォーキング・ツアーに参加していると思われたらしい。先日は、The British Libraryのカフェの方から「図書館のスタッフですか?」と尋ねられたし、日本国内のことですが、新幹線の中でお年寄りに席を教えてあげていたら「JRの人ですか?」と尋ねられたことがある。どうやら私は、実際とは違う職業の人に見えるようです。
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The City West Walk 1 [ロンドン散歩]

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1月24日、London's Hidden Walks vol.1の "The City West Walk" を歩いてみる。この本、説明も写真も素晴らしい。…と思っているのは私だけではないようで、同じようにこの本を持ち、真剣な顔をして同じ道をたどっているお兄さん(イギリス人っぽい)に遭遇。

私はこの日は十分に時間がなく、London's Hidden Walksの著者が提案している全行程を歩いてないです。以下はこの本を参考にしつつ記した、24日の私の歩行メモ。下の項目の順番と画像の順番(上段を左から右へ、下段を左から右へ)は同じ。"Viaduct Tavern"のみ、画像が2枚。

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Temple Bar。Sir Christopher Wrenによるシティの入り口の門。もともとはFleet Streetにあったのを移設したもの。この傍らにあるSt Paulも現存するものはWrenの建築だし、ホワイト・タワー@ロンドン塔も現存するものはWrenの手が入っているというし、現在のロンドンの風景を作った功労者はWrenと思えるほど。ロンドン大火(1666)で多大な被害を受けたシティの建物を、壮大な都市計画の下で修復したのは、Sir Christpher Wrenなわけだから。その後、第二次世界大戦でも被害という言葉で表現できない程大きな被害を受けたわけですが。

⇒Livery Hall of the Worshipful Company of Stationers and Newspaper Makers。シェイクスピアの戯曲やソネットの多くはここに登録されているらしい。

⇒Cutler's Hall。Cutlers' Libery Companyの1887年以来の本部。金の象が可愛い。

⇒Central Criminal Court at Old Bailey。もとはNewgate Prisonのあった場所に1902年に建設。この監獄に投獄されてた有名人は、Ben Johnson、Christpher Marlowe、John Milton、Oscar Wilde、Daniel Defoe。

⇒Viaduct Tavern。1870年頃に由来するパブ。週末は休み。横から見ると建物の平たい造りが面白い。平日にランチをいただきに行きたい(週末はお休み)。貯蔵室はニューゲート監獄の一部だったそうで、予約すれば見学できるよう。近いうちにぜひ!

⇒West Smithfield。スミスフィールドと言えば、生肉市場だっただけではなく、処刑場でもあった血生臭い場所。1381年の農民一揆を先導したWat Tylerや、スコットランドの"Braveheart"、William Wallaceが処刑された場所で、女王で通称Bloody Maryが多くのプロテスタントを虐殺したのもここ。1664年から翌年にかけてペストが大流行したときに犠牲者が埋葬されたり、12世紀から19世紀にかけて、フェア(市、祭典)が行われていたのもここですが、一言で言えば、シティの中(ローマ人が築いた壁の内側)で行うのは憚られる殺生を行う場だったと言えそう。ディケンズのGreat Expectationsにも出てきます。

⇒St Bartholomew's Hospital。ロンドン最古の病院。

⇒St Bartholomew the Great。1月6日に"
Epiphany Carol Service"に来たのがこちら。ノルマン人が12世紀に建てた教会で、何回もの修復を経て今日に至る。ただ、第二次世界大戦の空襲では破壊されなかったとか。中にカフェもあり。今日はレモンケーキと紅茶をいただく。美味。『フォー・ウェディング』、『恋に落ちたシェイクスピア』、『ブーリン家の姉妹』などのロケ地でもあるらしい。

⇒No.44。17世紀の商人の家。

⇒Little Britain。ここもディケンズのGreat Expectationsに登場する場所。イギリスなのに"Little Britain"なんて変な通り名だと思っていたら、中世、ここに屋敷を持っていたDukes of Brittanyに由来するそう。

⇒Roman Garrison Fort。ここにも古代ローマの遺跡。シティを囲む壁の一部でもあります。

…ここで、馬の蹄の音。音の聞こえる方に行ってみると、たぶんGoldsmith's Companyの建物の前で、ドラマのロケ。18世紀の終わりか19世紀の初頭の衣装を俳優さんや女優さんが着けていて、何のドラマだろう。二頭立ての馬車もぞくぞく。

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24日はここで時間切れ。残りはまた日をあらためて。
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ロンドン塔 [ロンドン散歩]

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1月23日は、ローマ時代の跡を見学後、ロンドン塔へ。ロンドン塔は、1066年にノルマンディー公ウィリアム(後のウィリアム1世)が建築したわけですが、ローマ時代に由来する壁で囲まれたロンドン市(City of London)を守る要塞という名目で建てられた…ということは、ローマ時代⇒ノルマンに始まる諸王朝⇒現在という、この地域の歴史をたどる上でよい流れ。

ロンドン塔で印象深いのは、トマス・モア、エリザベス1世の母親アン・ブーリン、権力争いに巻き込まれて9日間だけ女王だった、わずか16歳のレディ・ジェーン・グレイらが処刑された場所だということ。そういうわけで上段3枚目の水門は「反逆者の門」(Trators Gate)と呼ばれているのだと思いますが、アン・ブーリンは反逆者として捕えられたときだけではなく、女王として即位式に臨む際も、この門を通って入城。ここを通ったのは反逆者だけではないということ。

上段の1番右の写真の真ん中に写っているのはチャペル。アン・ブーリンやレディ・ジェインらはチャペル前の広場のようなところで斬首された後に、チャペルに埋葬されています。なお、ロンドン塔内で処刑されるのは特権であり、そういった特権のない人は、ローマの壁の外にあるスミスフィールドで処刑されたそう。(スミスフィールドについては、"The City West Walk"の"West Smithfield"の項をご参照)

監獄であり(特権ある人の)処刑場であるだけではなく、ロンドン塔は国王やその家来(とその家族)の住まいでもあり、象やライオンといった猛獣が集められた動物園的な観光地でもあり、ノルマン時代だけではなく第一次世界大戦中も軍事基地的な役割を果たしていたり、国王が戴冠式等で着用する宝石(Crown Jewel)の貯蔵庫であったり、現在では、ロンドン塔の案内と警備をしているヨーマン・ウォルダー(Yeoman Warder)とその家族の住まいでもあり…と、他にもいろいろな面があるのでした。ロンドン塔の中心にあるホワイト・タワー(最初の画像)は、要塞としての歴史にふさわしく、イギリスの鎧などなどの展示館にもなっていますが、その中に、1613年に徳川幕府の2代将軍徳川秀忠がジェームズ1世へ贈った鎧かぶともあります。

ロンドン塔と言えばもう一つ有名なのが、カラス。チャールズ2世の時代に「カラスがいなくなるとロンドン塔が崩れ、ロンドン塔が崩れるとイギリスが滅びる」と占い師が言っって以来、一定数のワタリガラスが飼われるようになったとか。カラスをよく見ると、羽の一部が切り取られていて、飛んで逃げられないようになっています。

お昼ご飯はロンドン塔内のカフェで、フィッシュ&チップス。さくさく美味しかったけど、食べ過ぎ。
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ロンドン塔周辺にあるローマ時代の跡 [ロンドン散歩]

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1月3日にイブニングツアーでちょっと覗いたロンドン塔。歴史に詳しい方に案内していただくことになり、地下鉄タワー・ヒル駅で待ち合わせ。まっすぐロンドン塔に向かう…と思いきや、ちょっと待てと、駅の傍らにある古代ローマ時代の壁の跡へ。古代ローマ人が築いた証拠は、石垣の下の方に見られる赤茶色の細い石で造られた横線状の部分なのだとか。この線が見られない上部は(たぶん壊れたか何かしたために)中世に継ぎ足されたもの。壁の前には「トラヤヌス帝だと信じられている像」あり。トラヤヌス帝(在位AD98-117)は、ローマ帝国史上最大の版図を現出し、文武両道の名君として知られている皇帝。

ロンドンに残るローマ時代の壁の跡と言えば、ロンドン博物館(Museum of London)の中から見学できる箇所が状態もよく有名ですが、壁は現在のシティの辺りをぐるりと囲んでいたわけで、ロンドン塔の付近に名残があっても不思議はないのでした。

一番右の画像は、タワー・ヒル駅ではなく、駅からほんの少しだけ歩いたホテルやレストランがある界隈に保存されている壁。下の方には、赤茶色の石が造る横線が何本かあります。
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