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A Guided Walk in the City: Johnson and Shakespeare [ロンドン散歩]

4月7日は夕方6時から、Dr Johnson's Houseが企画するウォーキングツアーに参加。カメラを忘れていたので画像なし。でも、今回初めて訪れた場所は、あらためて訪れるので、まあいい、ってことで。小雨混じりで寒かったですが、ガイドさんの話に耳を傾けつつ歩くのは楽しい。

ベースはジョンソンの足跡をたどることですが、彼とシェイクスピアとの接点を探るのが今回のツアーの特徴。ガイドさんの話の中心や、ジョンソンがシェイクスピア全集を編纂したこと、彼とシェイクスピア役者で同郷のデイヴィッド・ギャリックとの関わり。ジョンソンの生きた18世紀とシェイクスピアの生きたチューダー朝の様子を垣間見られる場所に足を止め、その他の文学者ゆかりの場所もところどころ。ガイドさんは、2月4日の"Dr Johnson Walk"(こちら)のときと同じ方で、Dr Johnson's Houseのイベントでも2回お会いしているので、顔なじみ。またお会いできますように。

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以下は、また行かなきゃ!と思う場所のメモ。

・エセックス伯爵(Robert Devereux)の胸像があるthe Devereux (Devereux Court。Essex Streetに続く場所)
・ジョンソンやRoyal Societyのメンバーがよく行っていたというGrecian Coffee Houseのあった場所
・Middle Temple Garden(バラの茂みがあって、『ヘンリー4世』[Part 1, Act 2, Scene 4]で言及されるか、その場面の舞台となっているかのどちらかの場所)
・4 Pump Court, Temple (Henry Fieldingが住んでいた場所)
・St Bride Chirch Yard (Samuel Richardsonのお墓)
・Playhouse Yard (Blackfriars Playhouseがあった場所。「夏はグローヴ座、冬はブラックフライヤーズ座」と言われていた時代があったらしい)
・Bridewell Palace (現在残っている建物は1802年に再建されたもの)

今度はカメラを忘れずに。
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The City West Walk 2 [ロンドン散歩]

1月24日のThe City West Walk 1 (こちら)のつづき。3月13日にFoundling Museumでお茶を飲んだ後。

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まずはFortune Theatre跡へ。Edward AlleynとPhillip Hensloweのために建てられたという劇場。AlleynはShakespeare in LoveでBen Affleckが演じていた16世紀末の17世紀初めの人気役者で、何かのインタビューでAffleckが「今で言えば、Tom Cruise」と説明していました。HensloweはGeoffrey Rushが演じていた興行主。

それから、Bunhill Fields cemetery(17世紀から19世紀半ばの英国国教会ではない人のお墓)に行き、左から、William Blake、Daniel DeFoe、John Bunyanのお墓詣り。Cromwell家のお墓もあります。London's Hidden Walks vol.1によると、1662~74年にはMiltonが近くに住んでて、Paradise Lostを仕上げ、Paradise Regainedの大半を書いたらしい。

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左はBunyanのお墓の傍にいたリス。真ん中はThe Keats at the Globe。Keatsが生まれて1804年まで住んでいたという場所。私がここを通るのは3回目。左はSt Mary the Virgin Aldermanbury教会にあるシェイクスピアの胸像。

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St Mary the Virgin Aldermanbury教会の傍らには高層ビル。こんな風に、ビジネス街の中に見どころがちょこちょこ隠れているのがシティの面白いところ。St Mary le Bow教会の近くにあるMiltonが生まれた場所に来るのも3度目くらい。こうやってちょっと散歩しただけでも、シティゆかりの有名文学者がこんなに。
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Brixton Walk 2 [ロンドン散歩]

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Windrush SquareからBrixton Hillの方へ歩いて行くとカトリック教会(左の画像)があり、小道を曲がると、1891年建設で今でも使われている郵便局の建物、バー、風車あり。風車は(修復されていると思いますが)もとはAshby家の人たちによって1816年に建設され、小麦を挽いて粉にするに実際に使われていたそうです。

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駅の周囲はマーケットや商店街。午前中早い時間だったので、あまり賑やかではなかったけど、ありきたりな言い方をすれば、すごくエスニックな感じで、その他の地域とは違う! アーケードの中には(残念ながら開店前でしたが)日本料理店もあり。画像右の可愛い魚屋さんの覆いに書かれた"Where do you stand?"はどういうことなのだろう? その後、用務があったため買い物しませんでしたが、野菜や果物を売っている露店を覗いたら、レモン6個で£1と安い。歩いてちょっとお腹がすいたので、パイやお菓子を売っているお店で£1.2のビーフパイを買って立ち食い。味は可もなく不可もなく。おじさんにジュースを勧められ、「何のジュース?」と尋ねたら、"seaweed"というお答。気になるけど、怖い気もするので遠慮しました。
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Brixton Walk 1: Windrush Square [ロンドン散歩]

BrixtonはBlack Cultural Archiveに行って以来2回目。1時間半くらい散歩してきました。まずはBrixtonの地下鉄駅を出て左折したらすぐのところにあるWindrush Squareへ。


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画像は左から、Lumbeth Town Hall、Ritzy Cinema、Tate Library。Windrush Squareはこれらの建物や、下段右の建物などに囲まれた気持ちの良い広場。図書館名にその名を残すSir Henry Tate(1819-99)の胸像もあり。Sir Tateはビジネスマンで、角砂糖を発明した人。美術品を国に寄贈してTate BritainやTate Modernの基礎を作った人でもあります。私のロンドン散歩の参考書London's Hidden Walksのvol.3によると、Tateが亡くなったときにはまだ野原だったこの土地をTateの夫人が買取って地域に寄付し、Brixton Ovalと呼ばれていたのがTate Gardensになり、その後、Windrush Squareと呼ばれるように。

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Windrush Squareと呼ばれるようになったのは、第二次世界大戦後の人手不足が深刻だった1948年に、Empire Windrush号に乗った493人の移民がジャマイカからやって来て、この近くに住むようになったことに由来。当時のロンドンは人種差別が激しく、同じルーツを持つ者同士、近くに住んでいないと危ない…というわけで、その後やって来た移民もBrixtonに住むようになり、現在では人口の約4分の1がアフリカ系/カリブ系の人たち(ロンドンのその他の地域の平均は約8分の1)。広場をよく見ると、敷石?の一部がサトウキビ模様だったり、1960年3月21日に南アフリカのシャープヴィルの警察で起きた虐殺事件(Sharpville massacre)のモニュメントがあったり、右の写真の煉瓦造りの建物の横にBlack Cultural Archiveがあったり。彼らの歩みがこの広場に刻まれています。
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Temple area [ロンドン散歩]

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2月3日の"Dr Johnson Walk"(こちら)で一度来ているTemple area。その中にあるMiddle Temple Hall(3枚目の画像)はShakespeareのTwelfth Nightが初演された場所ですが(と言っても、建物はもちろん建て替え。当時の建築様式ではないし、第二次世界大戦中にTemple areaはかなり空襲の被害を受けている)、ここでThe Tempestが上演されるとあるパンフレットに記されているのに、検索しても何の情報も出てこないので、今日(3月9日)直接行ってみたのでした。どうやらパンフレットは間違っていて、上演されるのはHenry V。主催の団体名もおしえてもらったのですが、観るならThe Tempestの方がよかったなあ。どうしようかなあ。

Templeは、十字軍の時代にエルサレムで結成されたテンプル騎士団のイングランド支部が12世紀以降に本拠地を置いたことに由来する地名。その後、その強大化を恐れたヨーロッパの君主たちに冷遇されるようになり、テンプル騎士団のロンドンにおける資産は1312年に没収され、他の騎士団"Knights Hospitaller"に譲渡されることに。14世紀になるとこの場所を法律家たちも居住するようになり、ヘンリー8世が"Knights Hospitaller"を解散させた後も法律家たちはこの地に残ったため、以降、Templeと言えば、法律関係の地に。

ちょうどTemple内の教会(右端の画像)で、オルガンによるランチタイム・コンサートが開催されるところで、時間もあったので拝聴。音の振動がびりびり伝わってくる、あの感じ。やっぱりライブはいい。
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Belgravia Walkを少し [ロンドン散歩]

3月5日、Sloane Clubでの会合が終わったのが4時半くらい。風は冷たいけど明るいし天気はいいし、このまま帰るのはもったいない、と、Sloane Streetの東側にあるBelgraviaというハイソな界隈の一部を1時間ちょっと散歩。


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(この日は午前中にもFarmers' Market目当てで行った)Orange Squareにある子供時代のMozart像からスタート。この辺りは、18世紀には美味しい居酒屋やコーヒーハウス等がある地域として知られていたそうで、その時代の名残を留めるものの一つが、The Orange Public House(真ん中の画像)。Orange Squareから東に向かうと閑静なEaton Terrace。

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左の2枚の写真はMinera Mews。"Mew"のもともとの意味は「馬屋のある路地」で、かつては、表通りのお屋敷で働く使用人も住んでいたらしい。路地の左側は馬屋をガレージに改造したものだと思う。こじんまりして石畳がいい感じ。こういうところに住みたい。そこからさらに東に行ってElizabeth Streetに出ると、Poilaneが! Poilaneと言えば、パリの有名なパン屋。昔々、雑誌『オリーブ』のパリ特集を読んで、サンジェルマンの本店に行って、(パリ特集に載っていた)りんごパンを食べましたとも。この日のこの時間、お店は既に閉まっていたので、今度は開いているときに行こう。

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Elizabeth StreetからSt Michael Churchの方へ入り、Chester Squareへ。この花、ときどき見かけるのですが、桜?

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Chester Squareには有名人の家が多く、24番地はMary Shelley、2番地はMatthew Arnold、73番地はMargaret Thacherが住んでいた家。サッチャーは1990年に首相の座を辞し、1991年からこちらに居住。2013年に死亡する数ヶ月前に、健康上の理由でリッツ・ホテルに引っ越しています。
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Fleet Street [ロンドン散歩]

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『スウィーニー・トッド』で有名なFleet Streetを西から東へ歩いていると、City of WestminsterからCity of London(=いわゆるシティ)に入る道路の中央線上に、ドラゴン像(真ん中の画像を参照)。シティとその他の地区の境界には、ここ以外にもドラゴンが設置されている場所あり。右の画像は、London Bridgeのドラゴン。ドラゴンはシティの外側を向いて、シティに来る人を迎えているらしい。

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ここはTemple Barと呼ばれるところで、もとは画像右端の門があり、馬車が門の真ん中をくぐり、左右の小さなスペースを人が通っていたわけですが、19世紀の後半になって交通量が増えると邪魔になり、この門はセント・ポール寺院の傍らに移設され、ドラゴンの像が設置。ドラゴンの下には、時の君主ヴィクトリア女王の像が南側に、女王の長男で時の皇太子(後のエドワード7世)が北側に。女王像と皇太子像の上方に"TEMPLE BAR STOOD HERE"と刻まれています。

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もう少し東に進むと、南側にPrince Henry's Room。1610年に建設されたこの建物は、1666年のロンドン大火をかろうじて逃れ、今に至るもの。最近まで修復カバーが掛けられていたのが、やっとお目見え。北側にはSaint-Dunstan-in-the-west教会。1671年にさかのぼる黒い時計は、ロンドン初の分針がある時計。その後ろには、シティを守護する巨人のGogとMagog(…という説が有力のようですが、ただの巨人で必ずしもGogとMagogではないという説もあり)が定期的に鐘を鳴らす仕掛け。その隣には見た通りのRed-brick-building。こちらには、100年くらい前から複数の新聞社のオフィスが入っているらしい。
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Portobello Road [ロンドン散歩]

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用務終了後に、有名なストリートマーケットではなく、The Cloth Shop目当てに行ってきました。名前の通りの布屋で、ブランケットやポプリ等もあり。数年前に初めて行った時から、長期滞在するときにはここでブランケットを買う!と決めていたのですが、部屋が暖かくて毛布不要なのと、ポンド高で辛いのとで、結局ブランケットは買わず。でも、ここは本当に素敵で、キッチンクロスくらいは買いたいと思いつつ行ってみたものの、今日(3月4日)は決心がつかず、何も買わずに退散。

夕闇が迫る中、The Cloth ShopからPortobello Roadを南下。Portobello Roadらしいなあと思うのは、パステルカラーの建物。なお、この通りが賑やかなのは土曜日。Nottinghill Gateで地下鉄に乗り、疲れたような気もするので、そのまま帰宅。

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イギリス滞在も折り返し地点。最近、加速度的に日々が過ぎる。また週末が来た!という感じ。
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"Sugar and Slavery" Walking Tour [ロンドン散歩]

イギリスで砂糖と言えば、連想するのは、西インド諸島のプランテーションで栽培されるサトウキビから作るもので、その背後にあるのは奴隷制。歴史の教科書にはなかなか出てこない、その歴史をたどるウォーキングツアー。

ヨーロッパのアフリカへの関心が始まるのは古代ギリシャ。中世には黒い肌が悪魔に関連付けられ、(ヨーロッパ人の)「大航海時代」になると、金や象牙に象徴される富を獲得できる「夢の大陸」という認識へ。その後、金や象牙に加えて奴隷がヨーロッパへ、ヨーロッパからは塩や武器、衣服がアフリカへ。その後、コロンブスらがアメリカ大陸を「発見」したときに、西インド諸島の砂糖もまた発見され、アフリカから西インド諸島へ奴隷が連れてこられ、西インド諸島からヨーロッパに砂糖がもたらされる、「大西洋の三角貿易」が成立。なお、イギリスで奴隷貿易と言えば、ブリストルやリバプールが有名ですが、1562年に奴隷を載せた最初の船がヨーロッパに到着したのは、ポーツマス港。奴隷船はロンドンの港へも、

大英帝国内での奴隷制に反対する運動がイギリスで始まったのは18世紀後半。1807年に奴隷貿易廃止、1823年に反奴隷制協会(Anti-Slavery Society)が設立。1833年に帝国内で奴隷制が廃止。1820年代のものだったと思いますが、お金持ちの夫人が持つ絹?のハンドバッグに奴隷の姿がプリントされたものが、たぶん今もVictoria & Albert Museumのファッションの歴史を紹介するギャラリーにあると思います。特に説明はないのですが、バッグの傍らに奴隷制に反対するパンフレットがディスプレイされていることから、自分は奴隷制に反対だという意思表示したものでしょう。
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ウォーキングではまずシティで奴隷貿易に関わっていた商社や公的機関を巡りつつ、ビジネスマンや社会的権威たちの奴隷貿易とのかかわりについての話を拝聴。銀行が奴隷貿易を支援していたことはもちろん、頭取クラスの人が奴隷を所有していたり、奴隷貿易で利益を得ていたり、また、当時の海洋法(Maritime Law)では「輸送」中に病気になった奴隷を殺害することが認められていたり…と驚愕の事実がいろいろ。帝国内での奴隷制が廃止された後の1844年に建てられた現在のRoyal Exchangeの建物の三角部分のレリーフには、大英帝国の富を支えたものとして、中心に商業の女神、左側には商人たち、右端には労働する奴隷。裏に回ると資産の象徴であるバッタが屋根の上に。

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路地に入って、17~18世紀のコーヒーハウスの跡へ。現在の"Jamaica Wine Shop"はロンドン最初のコーヒーハウスですが、男性たちが集まって商談をしたり政治について語り合う場所だっただけではなく、奴隷の売買や逃亡奴隷に関するポスターが貼られていたとか。そういう情報交換も行われていたはず。その他のコーヒーハウスも、残念だけど同様。

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テムズ河岸のかつての地図に「砂糖波止場(Sugar Wharf)」の表示。テムズ北岸で、シャードを正面に見る辺り。ここで西インド諸島の砂糖が荷揚げされ、南岸の市場で売られていたそう。奴隷もまた「荷揚げ」されていたわけですが、奴隷船内での彼らに対する非人間的な(と一言で片づけられるものでは決してない)扱いについての説明をここで拝聴。ここから再度シティ方面に向かい、ガーキンにほど近い路地に入ると、奴隷に関するモニュメントあり。サトウキビの形をした細い像に詩が刻まれています。
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Dickens After Dark: In the Steps of the Night Walker [ロンドン散歩]

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ディケンズゆかりの地を歩く夜のウォーキングツアー。昨夜ふと思いついて申し込んだら、参加者は私だけ。

CheapsideとWood Streetの角にあるSt Peter Cheap教会(と言っても現在は教会はなく、ベンチのある狭い囲い地のみ)に18:45に集合。2枚目の画像。ここからスタートするのは、ディケンズがロンドンに出て来て、その第一歩を踏み出したのがここだから。小説にも出てくる場所。

⇒肉や野菜を売る人たち馬車で大混雑し、衛生状況が悪いため悪臭もきつかったであろう19世紀の様子を想像しつつCheapsideを歩いて、Bank of England(金融)、East India House(帝国主義)、Royal Exchange(金融)、Mansion House(ロンドン市長の公邸)という当時の権威のすべてが集中したような一角へ。

⇒路地裏を通りつつテムズ河岸へ。途中、Pickwick氏(『ピクウィック・クラブ』)が住んでいたと設定されている場所(3枚目と4枚目の画像の辺り)、Scrooge(『クリスマス・キャロル』)の事務所があったと設定されている場所、ディケンズの初恋の相手Maria Beadnellが住んでいた家の前などを通る。テムズ河岸では、河が当時いかに汚かったかを想像したり、ディケンズの父親が投獄されていたMarshalsea監獄やディケンズが働かされていた靴墨工場、ベツレヘム精神病院の方向を眺めたり。

⇒ディケンズが19歳のときに速記者として働いていたDoctors' Commons(法律関係機関)やOld Bailey(刑事裁判所。当時はここで公開処刑も行われていた)などを通って、地下鉄駅St Paulで解散。

ガイドさんのディケンズに対する熱い思いや朗読、ロスチャイルド家やチャーチルについての小ネタに耳を傾けたり、質問したりしながら、そして、顔が固まるんじゃないかと思うくらい冷たい空気を頬に受けながら、サクサク進んで(←大人数だと、全員が通りを渡り終えるのを待つなど、たびたび立ち止まるのですが、何しろ参加者1人なので)、2時間の予定が1時間40分ほどで終了。
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