Camden & St Pancras Walk [ロンドン散歩]

4月9日(土)はマーケットに行って(こちら)、図書館に行って、夕方、カムデンとセント・パンクラスを散歩。
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ユーストン駅の西側のハムステッド・ロードを北上して、モーニングトン・クレセント(Mornington Crescent)へ。ウェリントン侯爵の弟モーニングトン侯爵にちなんで付けられた地名らしい。この辺りは芸術家に人気があった場所。ヴィクトリア朝の印象派の画家ウィルター・シッカートの住んでいた家にはブルー・プラーク。その向かいの歩道に"Oliver Twist Has Asked for More"と刻まれた石があるのだけど、この矢印はいったい何を指している??

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カムデン・ハイストリートを北上して、その一本西側の静かな通りに入ると、ディケンズが21歳くらいのときに住んでいた家あり。建物の一部に黒い網みたいなのが掛けられていて、茶色いプラークが見つけにくかった。真ん中の画像では、黒い車の後あたり。『クリスマス・キャロル』のクラチット家の質素な家のモデルはここだと言われている。養老院(St Martin's Almshouses)跡?もあり。

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カムデン・ハイストリートに戻ると、カムデン・マーケットへ。奇抜な看板と人混みに圧倒されて疲れる。運河のある静かな界隈を散策するのはまた別の機会にして、ケンティッシュ・タウン(Kentish Town)から地下鉄に乗ろう、と、ケンティッシュ・ロードを北上したら、遠かった。カムデン・タウン駅から地下鉄に乗るべきでした。

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地下鉄をキングス・クロス&セント・パンクラス駅で降りて、セント・パンクラス・オールド・チャーチへ。その基礎は314年に築かれたらしいロンドン最古の教会。『フランケンシュタイン』の作者メアリ・シェリーの両親の墓もここにありますが、この日にここに来た一番の目的は「ハーディー・ツリー」を見るため。19世紀前半に鉄道が敷かれたことにより、(セント・パンクラス駅の裏にある)この教会の墓地は大荒れ。それを1860年代に整備することになったとき、その役目を仰せつかったのが、建築家として働いていたトマス・ハーディー。ハーディーは倒された墓石を、木の根元に集め、墓石を木と一体化。墓石に新たな生命が吹きこまれたよう。おそらくその時の経験を詠んだ詩が、The Levell'd Graveyard。セント・パンクラス駅と一体化しているミッドランド・グランド・ホテルを裏から眺めながら、キングス・クロス&セント・パンクラス駅に戻り、そこから帰宅。

Clare Tomalinによるハーディーの伝記Thomas Hardy: The Time-torn Manによると、ハーディーがこの教会で作業をしていたのは1866年の秋から冬にかけて。メアリ・シェリーは、教会が荒れる前に、両親の遺体を別の墓地に移動させていたらしい。現在この教会にあるのは、彼女の両親(ゴドウィンとメアリ・ウルストンクラフト)の遺体があったことを記す記念碑と、ゴドウィンの2番目の妻の墓。(2016年5月8日に書き加え)
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